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OODAKOYA.JP “Shige-san’s Collection” 別館

久しぶりの高熱

ちょこちょこと尿路感染で38度くらいの熱は出すけど、
40度手前の熱は久しぶり。
それでも39度台は2日間だけだったので、そう大事にはならずに済んだ。
今は熱も下がり、味覚が行かれたのも治りつつあり、
おおむね治ったってところ。

あー、まいった。

考えてみると、毎年、1末から2頭と6末から7頭は要注意なのだ。
年にこの2回は高熱注意なのだ。

古い写真をスキャン-16

祖父。海軍の兵長時代。

おまつり

洲崎大神の例大祭。

横浜駅から徒歩10分くらいにも関わらず静かなところ。

午前中なのでまだ空いてる。

鳥居の向こう、宮前商店街は露店がたくさん。

洲崎大神の由緒略記から一部引用

 畏くも御祭神天太玉命は往昔祭政一致の時代より神祇政治の祖神として信仰され、天比理刀賣命はその御妃でいらっしゃいます。
 源頼朝公は石橋山の合戦に敗れ、相州真鶴より海路安房に渡り、安房洲崎の安房神社に参籠、再起を祈願した後、遂に天下を平定して鎌倉幕府を開かれました。公はその神恩を忘れず、その後すぐに、この地を撰定して安房神社の御分霊を勧請、一祠を創建し、幕府直轄の神社として代々祭典を厳修させなさいました。頼朝公奉献の神鏡が今に伝わるといいます。

**

安房で頼朝を助けた者の中に我が祖先がいたのだな。祖先は頼朝を泊め、身体休ませた。
そのときの礼に名字をもらった。(安房誌・吾妻鏡より)

由緒書きに安房洲崎の安房神社ってあるけど、安房神社と洲崎神社と一緒くたというか二社並立で考えちゃってるのかな。
安房神社と洲崎神社。夫婦だしいいのかな。

頼朝。その恩を忘れずに、安房神社の御分霊を勧請。うん、まぁ、鎌倉から安房まで遠いしな。
東京湾フェリーもアクアラインもないしな。安房まで行ってられんもんね。馬も疲れるだな。
近くにお越し頂くのが一番。うん(笑)
鎌倉から神奈川(現横浜市神奈川区)までならすぐだもんね。

 

こちら安房大神宮にある安房神社

5月にお墓参りに行ったので安房神社にも足を運ぶ。
足を運ぶというか、番地違いなので目と鼻の先だけど。

 

古い写真をスキャン-15

祖母 

古い写真をスキャン-14

祖母 

祖父

古い写真をスキャン-13

祖父

拡大するとPOLYDORとシールが貼ってあるのだけど、
レコードのポリドール?

写真館をやってましたので白衣は現像したりする時のものか。

レタッチが得意だったらしいのですが、今で言うところのフォトショ職人か。
その才能引き継げればいいのに…しょぼーん。

古い写真をスキャン-12

祖母 左は一番下の娘。(つーか、俺の母)昭和19年

この頃祖父は占守島へ。

「産まれましたよ」と、この写真を占守島へ送って、占守島から送られてきた写真がこれ

赤十字腕章なので衛生兵なのかな。部隊長に付いてた衛生班とかそんな感じのことを
聞いたことがある。名称はよく知らないけどそんな感じ。

占守島(シュムシュトウ) 千島列島最北最東端の島。

占守島にて戦死。

 

古い写真をスキャン-11

戦前とかって写真に文字を書き入れるの多かったのですかね。

祖父の若さからして昭和10年より前かな。

祖父 やはり昭和10年より前っぽ。

古い写真をスキャン-10

祖父とわんわん 耳でかっ。何犬なんだろ。

祖父とヒンヒン

古い写真をスキャン-9

祖父

伯父二人(祖父の長男次男)

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